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大阪高等裁判所 昭和57年(ネ)1990号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【判旨】

1 トダカは、国夫の個人営業を基に昭和四七年一二月に設立した資本金六七九七万円の宝石等の卸小売業者であるが、本店、大分支店のほか、姫路、今福(大阪市内)、京橋(同)、岡山、津山、米子の六営業所を有し、従業員(販売員を含む。)は約七〇名(最盛期約一〇〇名)、主な仕入先は、日東宝飾、奥田真珠、ナカガワジューリー、トーエークラウン、長堀貿易のほか、被控訴人らであつて、通常、卸は約三割の利潤を得て、小売は原価の約二倍から2.5倍の価格(物品税込み)で販売していた。

2 トダカでは、従前、取締役会が開かれたことがなく、毎月二回、全取締役(戸高国夫、戸高真治(国夫の弟で控訴人の兄、昭和五五年七月二四日辞任)、控訴人、北義照、横野勝美の五名で、戸高真治は大分支店長、北は本店営業部長、横野は姫路営業所長をしていた。)、支店長や営業所長が集つて営業会議を開き、売上対策を検討していたが、代表取締役の国夫は、いわゆるワンマンであつて、控訴人らが経営について意見を述べても、何時もこれに耳を貸そうとはせず、「俺に任しておけ。お前らは売上を伸ばせ。」というだけであり、個人営業当時の感覚により自己の個人会社として、単独でトダカの経営方針を決定していた。

なお、国夫以外の取締役はすべて個人営業当時の国夫の使用人であつた。

3 トダカでは、固定資産が少なく、商品担保では銀行融資が受け難いことから、従来より本店の家主でスポンサーでもある寿興産から余剰商品の売買形式による担保差入で融資を(月利二分)受けていたところ、従業員の不仲や支店長の使い込み等のため、昭和五五年四月から今福営業所(月商八〇〇万円から一〇〇〇万円)で、同年六月から大分支店(月商一六〇〇万円から一七〇〇万円)で、それぞれ異常な営業成績の低下を来し、前者では約四〇〇〇万円に上る不良債権が発生し、後者では売上が零となるに至つたので、同年七、八月に両店とも閉鎖したところ、全体の営業成績が著しく低下し、同年四月に一括仕入した商品の代金決済期が到来したこともあつて、同年九月頃以降著しく手形決済資金等の資金繰りに窮するようになつた。

4 そこで、トダカの代表取締役の国夫は、宝石金融業者の角海老宝石鑑別センター、丸昌商事、ユーホー等から、余剰商品の売買形式による担保差入れで融資(月利二、三分)を受けて、同年九月以降の手形決済資金の不足分を準備することとしたが、右融資額は担保商品の原価の七、八〇パーセント程度であつて、資金難により次第に担保商品の買戻ができないようになつて行つた。

5 そして、国夫は、トダカの資金難を切り抜けるため、昭和五五年一〇月頃以降スポンサーの古川直一(以下「古川」という。)から一〇〇〇万円宛の融資を受けて同年一二月末までの資金目どを付け、同年一一月商工中央信用金庫姫路支店に対し自己所有の不動産を担保に入れて三〇〇〇万円の融資を受ける申請をしたほか、昭和五六年一月にはスポンサーの寿興産や古川から多額の融資を受けることとし、トダカの同年一月の支払手形一億三〇〇〇万円、同年二月の支払手形一億五〇〇〇万円についても、売上金と融資金で決済を済ませたところ、同年三月上旬頃寿興産や古川から大手三社(日東宝飾、奥田真珠、ナカガワジューリー)の協力がない限り融資ができない旨申し渡されたことから、トダカの倒産の危険を感じ、同月九日から大口債権者の協力を得てその再建対策を講じ始めたが、一部債権者(被控訴人光力)の強硬な反対に会うなどして結局失敗し、トダカは倒産するに至つた。

6 トダカの月商は、昭和五五年九月時点では卸約四〇〇〇万円、小売約七五〇〇万円の合計約一億一五〇〇万円であつたが、その後、本店だけになつた頃では卸小売約六〇〇〇万円、倒産時点では同約二〇〇〇万円となつていた。

7 被控訴人らは、それぞれ興信所や取引銀行によるトダカの信用調査を行つたうえ、何らの懸念もないものと判断してトダカと取引を開始し、被控訴人光力は昭和五六年三月四日まで、被控訴人今興は同年四月二一日まで、それぞれトダカの仕入注文に応じて納品した。

8 控訴人は、トダカの営業(販売)の総括を担当し、本店の在庫商品の管理をしていたものであるが、前記大分、今福両店の閉鎖に伴う売上減を補うため営業努力を続ける一方、余剰商品担保の融資を受けることには反対していたところ、国夫が控訴人に無断で昭和五六年一月頃から頻繁に融資のため余剰商品を持ち出すようになつたので、同年二月頃国夫に対し「何故持ち出すのか。今の現状でやつて行けるのか。」などと質問したところ、国夫は「これは一時的で大分の売上をカバーするため。俺に任しておけ。」などと答えただけで、取り付く島もなかつた。

9 そして、控訴人は、同年三月初め頃の営業会議において、国夫からトダカの第九期(自昭五五年二月一日至昭和五六年一月三一日)決算報告書(八三二万円余の利益計上)に基づき営業報告を受けて、一先ず安心しトダカの倒産までは予想しなかつたところ、同年四月、国夫が手形決済資金調達のため奔走していることを知つて尋ねた際、国夫から「倒産するかも分らんが、努力していて好転するから頑張つてくれ。」と頼まれたが、同月末頃トダカの倒産を予測するようになつた。

なお、控訴人は、トダカの資金難を救うため、控訴人所有のマンションまで担保に入れるなどして、昭和五五年一〇月頃からトダカ倒産時点までに合計約五〇〇〇万円をトダカのために出金した。

ところで、会社の経営者(代表者、以下「経営者」という。)は、善良なる管理者の注意義務及び会社に対する忠実義務を負い、そのもとで事業の経営に関して広い裁量権を有するものであるが、事業の経営は常に複雑にして流動的な要因が入り乱れ、経営者が会社の将来の見通しを的確に立てること、殊に破綻にひんした会社の再建の見通しを的確に立てることは困難であるから、経営者が当初会社のためになると判断してなした行為が結果からみて失敗に帰したとしても、その行為が当初から会社に損害を及ぼすことが明らかであるとかそれに類するものである等裁量権の範囲を逸脱するものでない限り、これをもつて経営者に故意又は重大な過失による任務懈怠があるということはできず、また、株式会社の代表取締役ではないいわゆる平取締役は、自ら会社の業務を執行する権限を有するものではなく、取締役会の構成員として、取締役会を自ら招集し、あるいは招集することを求め、取締役会を通じて代表取締役の業務執行が適正に行なわれるように監視する義務があるにすぎない(最高裁昭和四八年五月二二日第三小法廷判決、民集二七巻五号六五五頁参照)ものと解するのが相当である。

これを本件についてみるに、右認定の事実によると、トダカは、大分、今福両店の閉鎖等により、昭和五五年九月頃以降資金繰りが順調に行かなくなつていたところ、代表取締役の国夫が商品担保の融資などにより資金難が切り抜けられて立ち直ることができると判断して経営努力したものの、一向に立ち直る気配がなく、かえつて、昭和五六年三月上旬頃倒産の恐れが生じ、新たに商品を仕入れてもその代金を支払うことが不可能な事態にまでなつていたのにかかわらず、国夫は、右時点以降同年四月二一日(被控訴人光力については同年三月四日)まで引続き被控訴人らから商品を仕入れていたものであり、国夫が右時点以前において、昭和五五年九月頃以降、被控訴人らからの商品仕入行為を含むトダカ立て直し対策としてなした一切の行為は、経営者の裁量権の範囲を逸脱するものではなく、経営者としての判断に誤りがあつたというに止まるものではあるが、同人の右時点以降の被控訴人らからの商品仕入行為は、明らかに代表取締役としての任務を著しく懈怠したものというべきであり、一方控訴人は、トダカの立ち直りのため営業努力や資金援助を続けていたところ、昭和五六年四月になつて国夫からトダカの倒産の恐れのあることを知らされ、同月末頃トダカの倒産を予測するようになつたものであるから、仮に前者の時点において急きよ商法や定款の規定に基づいてトダカの取締役会を自ら招集し又はその招集を求めたとしても、取締役会の開催について時間的に暇がなく、また、仮に取締役会が開催されたとしても、国夫のワンマン的な性格や他の取締役の顔触れからみて、国夫の同年三月上旬以降の被控訴人らからの商品仕入行為を阻止することはできなかつたものと認めるのが相当であり、したがつて、控訴人は、トダカの取締役として、代表取締役の国夫の右任務懈怠行為に対する監視義務を履行することが不可能であつたから、取締役としての任務懈怠はないといわなければならない。

(仲西二郎 石田登良夫 長谷喜仁)

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